終末期の医療やケアに関する意向を、事前に記録する「アドバンスケアプランニング(ACP)」というものがある。
このACP、日本では厚生労働省で正式に「人生会議」と略されている。
簡単にいうと、「どんな風に死にたいか?」ということだ。
ACPを動画にしようと思い本を読んだ結果、今の僕にはできないと判断した。
僕にとって、”終わり”を思い描くとはどういうことか、を自分の言葉で説明できないからだ。
動画にはできなかったけど…強く、シンプルな答えはあった。
終わりを意識して生きるとは、「今を一生懸命生きることなのだ」と。

人生会議(ACP)とは何か
アドバンス・ケア・プランニング(ACP)は、厚生労働省が「人生会議」として推進している取り組みだ。
自分が判断できなくなった時に備え、延命治療の希望・手術の可否・どんな最期を迎えたいかを、元気なうちに記録しておく。
死を語るのは縁起が悪いという文化もある。
ただ、判断ができる状態のうちに考えて、意思表明をしておくことに大きな意味がある。
実際にあった「決めておくこと」の重要性
障害福祉の現場で利用者さん本人が、あるいはご家族が、元気なうちに「決めておく」ことがどれほど重要か…
身をもって知った経験がある。
長年関わり、多くの人から愛されていた方をグループホームで看取ったとき、末期の状態で
- ・延命治療はどうするか
- ・手術はするのか
- ・そもそもこの方にとっての延命治療の定義はなんだろう?
判断できる人がいない状況が起きた。
現場は困り果てた。
知的障害のある利用者さんは、自分の意思の言語化が難しいことが多い。
支援の現場でも、ご本人の意向よりご家族の意向が優先されることも多々ある。
その経験は今も残っている。
自身の体の衰え
人生の中で一番元気なのは、たぶん今だ。
動けるうちにやりたいことをやらなければ、後でやろうと思っても体がついてこない。
これは経営でも同じで、種を蒔けるのは今だけかもしれない。
40代に入り、体の衰えをはっきり感じるようになった。
少し無理をすれば翌日に出る。
10年前には平気だったことが通用しなくなってきた。
人生の目的を整理すると、残るものは何か
考えを整理していくと、残るものは2つだった。
1つは、社会性を帯びた事業を広め、関わる人(特に利用者さん、一緒に働く仲間)がその事業の価値を感じられる環境を作ること。
もう1つは、子どもを英語教育ができる環境で育てきること。
逆に言うとこの2つ以外は余白である。
今を一生懸命生きる
その2つのために一生懸命生きることが今の自分に是だとしたら。
まず健康であり、集中力高く、少し高いくらいの目標を持ち、常に行動に移し続けることだと思う。
そうすることで人生の目的の1つ「仕事」では、利用者さんが満足した人生を送れて、仲間とともに成長し続ける環境が作れると信じている。
人生の目的2つ目の「子どもの人生への責任」においても、それを叶える収入を得て、良好な関係性を持ち続ける、その努力を続ける。
さらに名著「7つの習慣」では「終わりを思い描いて生きる」とある。
終わり、つまり「自分の葬式」には、子どもがいてほしいという気持ちはある。
だからじゃないけど…子どもは大事にしなければならない。
今は学校の送り迎えをして、歯磨きの仕上げをして、オムツを替える。
その役割はどんどん減っていく。
最終的に残るのは経済的な支援と、良い関係性であり続け、一緒に遊ぶことくらいだろう。
そのためには、健康で、集中力高く、少し高いくらいの目標を持ち、常に行動し続ける。
それが自分にとって「今を一生懸命生きる」ことなのだと思う。
余談
僕の父は73才で、これから先何かやりたいことあるのか?と聞くと、「はぁわしゃもうええよ」という。
自分にはそんなこと言えないので、まだその領域には行けてない。
ただ1つ思うのは好きなだけタバコを吸い、酒を飲み、休日はソファの上でひたすらu-next でアクション映画やわけわからないYouTubeを見ている。
健康のことなんか1ミリも考えてない。
「逆に尊敬する」という言葉がふさわしい。
そんな状況でも癌や認知症にならずに生きている姿を見ると、生存力が強いんだなと思う。
終わりに
80・90歳の自分の姿はまだ描けないし、73歳の父の言葉も自分には吐けない。
死生観の解像度はまだまだ低い。
だから今すぐACPについて動画を作ったり、偉そうに語れる立場でもないと判断した。
ただ、一つだけ得られたものは、「終わりを意識して生きる」とは結局、「今を一生懸命生きること」だと。
そう気づかせてくれた1人「人生会議」だった。



