事業を始めたときから何度もこの問題について考え伝えてきた。
ご利用者への言葉遣いの問題。
うちは特にその点”ゆるい”。名前の”君付けちゃん付け”、”ですます”などの丁寧語も使わないこともある。僕もそうだ。
これに対して疑問を呈すスタッフも少なくない。最近入社したスタッフからも言われた。
入社してすぐに、こういった疑問や異論を唱えることは勇気がいること。言ってくれたことに感謝したい。
今まではこの問題に対して、オリエンテーションやその場その場で説明してきたけど、最近はブログや動画で伝える努力を始めたので、僕の考えをまとめておくことにした。
不適切な支援や虐待が起こる要因
2年前に虐待防止について学んでみた。
虐待は急には始まらない。
- 小さな不適切支援の積み重ね
- 支援者の知識不足
- 支援者のストレス
簡略するとこれらが継続した結果、虐待が起こると分析されている。問題はいつも単一ではない。
小さな不適切支援。その要因の一つに言葉遣いは入るだろう。
言葉が果たす役割
また少し違う角度から見てみよう。
言葉が果たす役割は、情報や感情の伝達に加えてコミュニケーション自体を楽しむ役割もあるだろう。
ひいてはそこから生まれる人間関係・信頼関係が、言葉の果たす役割かもしれない。
そう考えると言葉は、人間関係を構築するための手段であり方法の一つと考えられないだろうか?
介護スタッフの最大の目的は?
僕が思う素晴らしい支援者は、ご利用者と良好な人間関係が築ける人だ。
そこには資格も経験も関係ない。
「この人好きっ!」「この人私のことわかってくれてる!」と思ってもらえたもん勝ちなのだ。
例え医師だろうと介護福祉士だろうと、人間関係が築けず「この人の支援は受けたくない」「この人は信頼できない」と思われたら終わり。
相手の心は閉じてしまい、福祉サービスを提供するどころの話ではなくなる。
もちろん社長なんて肩書は、ご利用者にとっては無価値だ。
他サービス業の言葉遣いは
他サービス業ではどうだろう?
僕は美味しい飲食店でも、不快な態度や言葉遣いをするお店には二度と行かない。
かと言って敬語を使わなかったり、僕のことを”たんちゃん”と呼んでくる店主でも全く悪い気はしない。
何度か行くうちにその人はそういう人間性だと知ったから。
青森県にある星野リゾートは、観光客がわざわざ地方旅行に行く意味を「地方の文化を感じること」とした。コンセプトだ。
「地方を感じること」が目的なので方言も使う。聞き慣れない言葉を話し、年中ねぶた祭りを感じられるらしい。
僕もいつか行ってみたいと思っている。
ちなみに昨年行ったマレーシアのスタバでは、紙のコーヒーカップに手書きで名前を書いてくれる。
「ネーム?」と聞かれるので「ヒデ!」と答えると、「ヒデ?!グッド!」などと答えてくれる。
何がグッドかわからないけど悪い気はしない。
それにしても、日本の介護現場で外国人労働者と一緒に働くことが普通になるのはいつだろうか?いつかはそうなると思ってる。
もしそうなったら言葉遣いの教育は難しそうだな。
「コンセプトや目的」から言葉遣い(手段)を選ぶ
話は戻り…福祉サービスの目的はなんだっけ?
そうだそうだ
- ご利用者と良好な人間関係を築く
これがスタートなのかゴールなのかわからないけど徹頭徹尾、これに尽きる。
だから君付けかちゃん付けか…タメ口か敬語かは問題ではない。ご家族が聞いても不快にならず、見下しもせず、変に持ち上げもしない。
ある人と話す時は、友達か家族のようにフランクに話し。
またある人と話す時は、膨大な知識や経験に基づき誰もがわかりやすい言葉で丁寧に話す。
困っている時は我が身に降りかかっている問題のごとく親身になって話す。
そんな存在になれたら最高の支援者だ!僕はそう思う。
終わりに
介護スタッフは飲食店などと違い、ご利用者との距離感がめちゃくちゃ近い。
加えて生活や身の回りに助けを必要としている人を相手にするので、指導的立場をとってしまうこともある。
僕もあった。今でも自分の子どもに対してある。
その都度、自己嫌悪に陥り「ごめんなさい」の気持ちになる。
最近保育士からも似たような話を聞いた。
しかしご利用者も家族も海千山千の人生経験者。
そんな未熟な僕たちを許して育ててくれる。人のお世話をすることは本当に大変なことだと知っているから。
章の始めに虐待が起きる要因を挙げた。第一位は「支援者の知識不足」だ。
だから自分の未熟さを感じたら勉強しよう、知識が足りないのかもしれない。
仲間の言葉遣いに違和感を感じたら教えてあげよう、ストレスが溜まっているのかもしれない。
不適切な支援かもと思ったらミーティングを開こう、僕たちはそんな想いで介護士になったのではないのだから。