人は誰でも誰かに貢献したい。
意識か無意識かわからなくても必ずある願望だと思っている。
この感覚は障害の有無に関係なくあると思っている。
根拠は?と言われても経験則で”そう感じる”としか言いようがない。
知的障害者は言葉で表現できる人は少ないけど、表現する力はしっかりある。
そう表現してもらってきた。
介護職にとって重要な部分なので、動画で話したこととそうじゃないことも含めてブログにしておこう。
この後の第一章と第二章はほぼ「嫌われる勇気」のもの、読んだのは少し前だから多少違うかもしれない…
他者貢献とは
You Tubeでは話せない。
僕の好きな著書「嫌われる勇気」の、他者貢献の大事な部分を書いておく。
そもそもの大前提として、誰かに喜んでもらうことが他者貢献ではない。
そうであれば何をするにしても相手の顔を伺って行動することになる。
人の気持ちはコントロールできないものだ。
コントロールできないものに執着してしまうと不幸の始まりになる。
幸せの尺度が、”相手からの感謝の言葉”であれば、感謝を述べる相手がいないと幸せになれないことになる。
そうではなくて、嫌われる勇気で言っている他者貢献とは、「他者貢献感」である。
他者貢献感とは
昨年から始まったうちの施設の取り組みで「地域清掃」がある。
これで例えるとわかりやすい。
地域清掃活動では、地域を歩きゴミを拾って回る。
もちろん誰もいないところでゴミを拾っても「ありがとう」の言葉は返ってこない。
しかしゴミを拾うことで、
- 「私はこの地域に貢献をしている」
- 「お世話になっている地域に恩返しが出来ている」
と思えたなら立派な他者貢献である。
相手がどう思うかではなく、自分がどう思うかが大事な部分。
相手はコントロールできないが、自分はコントロールできるのだ。
相手を思いやり、自分の出来ることを見つけ、行動することで、他者貢献感を感じることができ幸せになれるのだ。
そんな感じだったと思う。
出来ることを見つけてやる気を引き出す
介護職のプロフェッショナルな部分の一つ。
相手を知っていないと出来ないことであり、やる気を引き出すための人間関係やコミュニケーションが必要なのだ。
しかもただ”出来る”だけでは相手の動機付けにはならない。
相手が好きな作業や行動だったり、何かや誰かのためになっていると感じることが大事なのだ。
後者はまさに他者貢献感である。
それをご利用者に対して支援・仕事として提供する。
働く喜びを分かち合い、一緒に笑い、一緒に成長できるのだ。
小型耕運機は最高の機械である
僕が男の子だからかもしれない。
危なっかしいことや”やった感”のあることが好きなのだ。
他者貢献感とか関係なく、ただただ楽しいやつ。
それが小型耕運機である。
燃料を入れエンジンをかけ、大きな音に惑わされないように、倒れないように、機械をコントロールし土壌を作っていく。
1万年前から続く農耕作業は、生活に不可欠なものとしてもうDNAに刻まれているのかもしれない。
そんな人間にプログラミングされた農耕作業を上手くこなし、野菜を収穫できた時の喜びは一入なのである。
そういう風になっているのである。
終わりに
You Tubeのまんまブログにすることは楽しくないので、違う視点からも働く喜びについて書いてみた。
これからもこういう部分を磨いていくチームでありたい。
こういうことを僕より上手く作り出すスタッフが何人もいる。
本当に心強い限りだ。
当たり前だけど僕一人では何も出来ない。
でも理想だけは喋り、書き続けていこうと思う。
理想に近づけるように。