社長ブログ

じゃあそれで!〜その2〜

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「提案する」とは習慣だ。

良い習慣は人を成長させてくれる。

しかし、「わからないので教えてください」と、教えてもらう教育のせいか。

「楽をしたい本能」のせいか、リスク回避脳か。

理由はわからないけどほとんどの人が出来ない。

断言する。

これが出来るだけで、どこに行っても通用する人材になれる。

1年半くらい前に書いたブログ。ほぼ同じことが書いてある。

株式会社障がい者ライフサポート【広島市】
1年半くらい前の社長ブログ

「じゃあそれで!」と言わせるだけ

現場スタッフにもある権限で、会社に貢献できる1番の業務、それが提案だ

「何かしらの立場」をとることで、自分の存在価値が生まれる。

「利用者さんが使うタブレットが壊れました、新しいのを買いたいです」

このように起きた事象を思い付いたまま言ってはいけない。

「数あるタブレットの中でスペック、価格、口コミ、色々調べてA商品とB商品に絞りました」

「使用頻度を考慮して価格の安いB商品がいいと思います!」

そうくると上司は「じゃあそれで!」と言うだけである。

伝書鳩はいらない

働いて対価を得るとは、「価値」を提供することである。

  • 「〇〇さんから電話がありました。折り返し電話をお願いします。」
  • 「Aスタッフからこのように質問がありました。どうすればいいですか?」

この2つの言動に何の価値もない。

ただの伝書鳩。

その事象に対応する同僚・上司が知りたい(であろう)情報や「たぶんこうだろう」を提案する。

例えその提案が完璧でなくても、考えて発信すること自体に価値がある。

冒頭に言ったようにこれは慣れ、習慣なのだ。

何かを決めるとき、相手にただ判断を委ねるのではなく、自ら提案をする。

意見を伝えることを習慣にしよう。

「なんでもいい」は一生やめよう

  • 「今日の夜ごはん何がいい?」
  • 「ん〜、なんでもいい」

「なんでもいい」は最も無価値な発言だ。

「私は考えないからあなたが考えて」とも取れる。

そもそもなんでもいい訳がない。

例えば、白米だけ日本昔話ばりに盛られて出されたらブチ切れるはずだ。

「冷蔵庫に白菜と豚肉があるから鍋はどうかな?」

「近所の中華はどう?」

なにがなんでも意見を言おう。

偏りこそが価値になる

意見を言うとき、本心ではなく無難に済ましたい人もいるだろう。

でもどうだろう?

相手は無難な意見が聞きたいのかな?

いや、違うはずだ。

  • 「ちゃんと調べてきたんだな」
  • 「なぜ数ある選択肢の中からそれを選んだんだ!?」

そう感じた時に「納得感」が生まれるもんだ。

ただ、逆張りのための逆張りは不要だ。

それは炎上のための炎上みたいなもんで、不快に感じる。

そうじゃなくて、「ほとんどの人はこうするんだけど…でも私はこう思う」

そういうのは納得感が共有できる可能性が高い。

余談

偏りに価値があるって書いてたら、最近見たこの映画を思い出した。

映画なんてほとんど見ないんだけど、オススメされてて見たら超楽しかった。

死なないことに異常なレベルで取り組んでた。

食事制限、8時間睡眠、毎日1時間運動、サプリ130個、遺伝子の書き換え、息子の血漿を自分へ…

もうマンガみたいな話だったけど、その生き方に価値を感じて人が集まってた。

僕もとても好感が持てた。

今の時代、正しい偏りは価値がある。

終わりに

良い習慣はつまらない。

良い習慣はすぐに効果を感じられない。

良い習慣は続けられない。

その代わり、続けられた人は比べ物にならないほど変わる。

冒頭に書いたように、これが出来るだけでどこに行っても通用する人材になれる。

だから僕は嫌われようと口うるさく言う。

  • 「あなたの意見は?」

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