前編で原因論の概要を掴んでもらえたと思う。
ではそこからどうやって抜け出すか?
前編はこちら
他責と自責をやめる
原因論を生み出す原動力は他責と自責である。
他責と自責を続ける限り、原因論の住民から抜け出すことは出来ない。
三角柱の二面「悪いあの人」「かわいそうな自分」
責任を他人になすりつけ(悪いあの人)、自分は恵まれてない(かわいそうな自分)と主張していれば、努力も思考もしなくていいから楽なのだ。
おまけに人を巻き込めば話も聞いてもらえる。(注目も獲得できる)
こんなに簡単で、所属欲求も満たしてくれることは誰も止められない。
ただ、進歩も成長もできない。
原因論の住民から抜け出したいなら、今日からやめるしかない。
自分の思考を確認したいなら、一度悩みやいつも頭をよぎることを紙に書き出してみるといい。
誰にも言わずにnoteなどでこっそりブログを始めるのもいいかもしれない。
とにかく思考を可視化してみよう。
他責と自責を見つけたら徹底的に排除するしかない。
排除してどうするか?
これからどうするか?
三角柱の残った一面である。
原因論に対抗するには目的論(目的思考)でいってみよう。
これ以外の思考は頭の隅に追いやる。
前編で例えた、
- 上司の言い方がキツいから辞めます
で考えてみよう。
この目的は「退職」すること。
上司の言い方は関係ない。
本質は「上司の要求に応える能力がない」「それに向かって努力したくない」そんなところだ。
もしも本当に言い方が理由なら、「これからどうするか?」について上司と話すのが最短、最善だ。
「一生懸命なのはわかるけど、言い方をもう少し工夫していただけると助かります。
私もご利用者によいサービス提供をしたいのは同じです。目的が一緒なら、一緒に頑張れるはずです」
これだけで前進する。
まともな社会人がビジネス上で心からの言葉で話し合って前進しないわけはない。
問題を他責にも自責もしてはいけない。
精神的な自立を目指す
最終的に目指すべきはここしかない。
必要以上に他者に依存せず、視点を他者の言動から自分に向け、「今日も明日も自己ベストを更新するんだ」と言い聞かせる。
そのために必要なことは『行動』しかない。
他者貢献(感)・学び・筋トレ(運動)をすることである。
他者貢献活動をすることで自己肯定感が高まる。
学びは自己中心性からの脱却を促してくれる。
学べば学ぶほど、自分がちっぽけな人間であることがわかる。
筋トレ(運動)は女性ホルモン、男性ホルモンの分泌を促してくれる。
日中運動をして疲れていれば睡眠もしっかり取れる。
睡眠の質もホルモンと神経伝達物質の分泌に影響する。
人間という動物はホルモンで人格すら変わる。
あなたはいつでも変われる
人はいつでも変われる。
今日、今、この瞬間に変わることができる。
もしできないのであれば「私は変わらない」と不断の決意をしているだけだ。
いつもの仕事の帰り道をちょっと変えてみるように、昨日まで言ったことの無いような発言をしてみるといい。
恥ずかしがらず、成りたい自分とか、あこがれている人を完コピするだけでいい。
まずは完コピから始まる。
それを繰り返せばいつか新しい自分になれる。
足るを知る
人は毎日食べて排泄して風呂に入って寝る。やがて死ぬ。
富裕層と呼ばれる人たちも一般人も、大きな視点で見ればやってることはこれだけなのだ。
日本ではほとんどの人が1日3食たべられて、蛇口をひねれば水を飲め、屋根のある家で寝られる。
もうこれだけで充分ではないか?
こんなに恵まれているのに他責とか自責をするなんて馬鹿げている。
もし強制的に「足る」を知りたければ、ファスティングはどうだろう?
マレーシアの国教であるイスラム教では、来月から1か月間ラマダンが始まる。
ムスリムは日の出から日没まで、水を含む飲食が一切禁止される。
僕もファスティングやったことあるけど、いつでも食べられることがどれだけ幸せなんだろうと痛感する。
おまけに精神的に自立していればまともな仲間も集まってきて、楽しく過ごすことも出来るだろう。
終わりに
思い付くことを思い付くまま書いてみた。
何度も書いたように原因論の住民から抜け出すのは容易ではない。
ただ、一度抜け出せば後戻りはしたくなくなるはずだ。
あんなくだらない村はまっぴらだと。