サピエンス全史の「結局人間は小麦の奴隷だった」というエピソードを知っているだろうか?
僕はこのエピソードが大好きだ。
身近な食料である”小麦”が人類の歴史を変えていたのだから。
このエピソードを思い出す度、「人間らしい生き方とは?」を考える。
エピソード
人間は20万年の内、19万年を狩猟採集によって生きてきた。
しかし1万年前のあるとき、小麦を育てて食べるようになる。
その方が安定的に食料が確保できると考えたからだ。
最初は便利だと思われた。
ただ、問題はたくさん起きた。
小麦を病気や虫から守るために、毎日畑の世話をしなければならない。
畑の世話は朝から晩まで続く、長時間労働だ。
収穫が少ない年は飢えに苦しむこともある。
小麦は狩猟採集で採れる肉や魚、木の実などより栄養価が低い。
低い栄養価、畑の世話による腰痛、長時間労働、同じ場所に縛られる生活。
健康と自由を奪われてまで小麦を世話し続ける人間。
放っておけば滅びたかもしれない小麦は、人間を媒介して生き延びた。
「生物の繁栄」という面で考えると、小麦は大勝利を収めた。
結局、人間は小麦の奴隷だった。
追記
この農業革命の中で人間は格差も作っている。
農作地を持つものと持たざるもの。
その後作られた貨幣制度と合わせて格差が生まれたという。
前章の健康被害と自由の放棄に加えて、争いの元となる格差まで作った農業革命。
こんなことのために狩猟から農耕に乗り換えた訳ではないだろう。
人間らしい食生活
人類20万年中、19万年を狩猟採集で過ごしてきたならば、身体もそのようにプログラムされているはず。
つまり肉や魚、木の実やキノコなど、タンパク質や食物繊維の多い食材が、身体(プログラム)が要求しているもの。
一方現代は糖質天国。
炭水化物の1日3回摂取、ケーキやお菓子、甘いドリンクなど、簡単に糖が過剰摂取できてしまう。
結果、社会問題レベルで身体(プログラム)がバグっている。
狩猟採集での糖質は、たまに採れる熟れた果物が摂取できる糖だったらしい。
常時摂取できるものではなかったのだ。
僕はこれを知って実践したみたところ、身体の調子が良くなり続けている。
人間らしい生き方
狩猟採集時代の労働時間は1日3〜4時間ほど。
その他は次の狩場への移動や家族で遊ぶ、暗くなれば寝る。
明日の食料を心配することはあるものの、遠い未来を心配することはない。
遠い未来の心配とは、現代の「老後資金は足りるだろうか?」「来年給料は上がるだろうか?」のようなことだ。
必要以上に過去に囚われることもない。
不安からくる自殺など、そんな概念も存在しなかったという。
僕らしい働き方
まず、そもそも、僕にとっての仕事の定義は、「稼いで」「楽しくて」「自己成長できる」ものである。
“稼ぐ(食べる)ための労働”ではないし、ただ遊んでるわけでもない。
子どもが生まれる前は1日12〜14時間労働、今は子育てがあり1日8時間、土日は3時間ほどの労働時間である。
もちろん家族との時間は大事にする。
子どもの成長には驚かされるし、育っている姿は嬉しい。
たまに友人とも遊ぶ。
ただ、それ以外の時間は一般的に「仕事」と言われる活動に勤しむ。
それはかつて人間が小麦に夢中になって奴隷のように働いたのとおんなじ。
僕は障害者の奴隷かもしれない。
牛を殺さなくていい世界
牛の筋肉細胞を増殖させて人工的な肉、「人工培養肉」を作る話。
2013年ではハンバーガーを作るのに約3000万円かかり、その資金はGoogle CEOが払ったというニュース。
もし、肉を食べるのに動物を育てる必要が無くなれば、たくさんの労働から人は解放される。
牛を育てるにはエサとして大量の大豆やトウモロコシが使われる。
その大豆は世界で生産されている70〜80%が牛を育てるためだけに作られている。
加えて牛の”げっぷ”や”おなら”に含まれるメタンガスが地球環境への負荷になっていることがわかっている。
人間は牛肉を食べるために、大豆を育て、牛を育て、殺し、流通させるインフラを整える。
それらを全て不要にするかもしれない人工培養肉。
科学やAIは人間を労働から解放してくれる。
終わりに
ワークライフバランスを大事にしたい人はそうすればいい。
そうしないと患う人や、仕事は生活の糧だという人は特に。
狩猟採集時代と比べると8時間でも働き過ぎだ。
仕事と遊びの区別が無くなった人は…
奴隷のように働こう。
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