死・孤独・責任。
この本には、「僕たちに時間がないのは、この3つの理(ことわり)から逃れるために人生を費やしているからだ」という。
突き詰めればそうではないかと納得のできる内容だった。
死を感じないように何かに没頭して。
孤独を感じないように会社を興して、パートナーを見つけ、子どもを授かったのではないか?
そう言われると返す言葉がない。
ただ、責任に関しては、起業や子どもを授かったことで、向き合わざるを得なくなったので逃れているという認識は今はない。
でも「責任逃れ」も確かに20代や30代前半くらいまではあったと思う。
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目的の目的
※ここから本題
「自分は時間をうまく使っている」
そう思っていたけど、その”目的の目的”までは追求してなかった。
今までの目的は「利用者さんに価値あるサービスを提供したい」「他者貢献こそ自分のためになる」。
そんな目的であった。
『あっという間に人は死ぬから 「時間を食べつくすモンスター」の正体と倒し方』
この本のタイトルを見た時「また時短術系の話かな…」と思いながら、でも今を輝くYouTuberだったのでポチった。
- ・時間を有効に使うためにスマホを見過ぎないようにしよう
- ・集中力を高めるために食事・睡眠・運動に気を付けよう
- ・余計なことに思考を割かれないようにモノを減らそう
- ・余計な付き合いを減らそう
そんなことを謳う本はたくさんある。
ただ、これらはハウツーに過ぎず。
なぜ時間が重要なのか?
なぜ退屈を感じたくないのか?
なぜそんなに仕事に没頭するのか?
の問いを立てるものではない。
確かに何かに没頭するのは「死や孤独から逃れるための行動あるある」と別の本で見たことはある。
ただ、「死や孤独から逃れるための行動あるある」は、「自分への嘘であり、それらが時間の浪費に繋がっている」という視点は見たことなかった。
自分は目的も明確で手段として時短術を使っていると思っていた。
ただ、見方を変えればその目的も一つの手段であり、さらに抽象化された「一つの真理」は知らなかった。
それでも私は変わらない
死・孤独。
これらから逃れるために仕事や遊びに没頭しているのかもしれない。
たくさんの人を巻き込んで何かを成し遂げようとしたり、友人とあの手この手で遊ぼうとしているのかもしれない。
そうだとしても僕は変わらない。
これはハブてているわけでもないし、年を重ねて意固地になっているわけでもない(と認知している)。
これが一つの真理だとしても、
- こんな楽しい人生に終わりが来るなんて切ないぜ!
と思いながら、他者貢献にまい進する人生の方がいいと信じているから。
そもそも、終わりがあるから「楽しい」とか「没頭」という概念が存在するのかもしれない。
ただ、自分のお葬式でどんな人にどんな言葉をかけてほしいかは、これからの自身の行動指針に加えたいと思った。
最期の最後にかけてほしい言葉は?
5年前の写真を見て「(現在を)やっぱ老けたな」と思う。
5年後、今の僕を見て「まだ若いな」と言うだろう。
10年後、何かに没頭できるほどの体力も無いかもしれない。
20年後、61才。老眼とインポという事実を酒で流し込み、子どもは(生きてれば)24才と22才。
納得のいく教育を受けさせてあげれてなくても、惰性で自分を納得させようとしてるだろう。
まさに責任という理から逃れるための時間の浪費である。
そして理から逃れるための言い訳を饒舌に喋り、「でも頑張りましたね」とか言われ(言わせ)ながら、くだらない共感を得ているかもしれない。
これを書きながら、「子どもは生きてれば…」と言ってるくせに、自分は生きてるテイにしていることはもはや業にすら感じる。
今一緒に働いてる人たちはどうなっているでしょう?
せっかくこんなに素敵な業界に身を置いているなら、他者貢献に溢れる仕事をしようぜ!
そしてお葬式で「この人は生をやり切りましたね」と言われて火葬してもらおう。
どうせ死ぬなら快く送り出してもらおう。
終わりに
最初書こうと思った内容と大きく変わったけど、ブログなんてなんにも気にしなくていいもんね。
お金を稼ぐためのブログでも、誰かに頼まれて書いたブログでもないんだから。
もしかしたらこのブログを見て、紹介した本をポチって「教養を得た」と感じる人がいるかもしれない。
もしかしたらこのブログを見て、「この人が没頭するほどの業界ってどんなんだろう?」と思って介護業界に興味を持ってくれるかもしれない。
この業界に足を踏み入れる人が増えたら僕の生は全うされる。